親鸞会 二千畳座談会で弥陀の真実と弥陀の方便を聞かせていただきました


 二千畳座談会で、親鸞聖人の一念多念証文のお言葉を聞かせて頂きました。

「八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」(一念多念証文)

 仏教で「方便」とは、真実に導き入れるのに絶対必要なものをいいます。
 真実が大事だから、方便も同等に重要となるのです。



 ところが「ウソも方便」の諺もあるように、一般に方便とはウソ、もしくは真実ではないから、あってもなくてもよいもの、と軽視されがちです。

 今日、仏教で言われる「方便」の意味を正しく理解する人はほとんどありません。

 親鸞聖人が「浄土の方便」と言われているのは「阿弥陀仏の方便」のこと。「方便」と教えられていることを軽んじて、「方便なんていらない。ただじゃ、そのままじゃ」と無力を強調してきたから、教えを求める人もなく、悲しいことに浄土真宗は凋落の一途をたどっている。
 親鸞聖人と異なる信仰体験を、弥陀の救いだと言い触らす自称獲信者も増えているようです。親鸞聖人が、この惨状をご覧になられたら、どれほど悲しまれることでしょう。



 問題の根底にあるのは「方便」の無知です。

 親鸞聖人が説かれる「阿弥陀仏の方便」とは何か、そもそも方便、真実とは?
 方便と真実の関係はどうか?
 親鸞聖人はそれをどう教えておられるか。

 親鸞聖人と一味の世界に出させていただくには、どうしても知らねばならない大事な教えです。

 参詣された方の声を紹介しましょう。

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・二千畳座談会に参詣させていただきました。「八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」(一念多念証文)の親鸞聖人のお言葉から教えて頂きました。釈迦一代の教えは後生の一大事のある事と、その解決の方法を教えられていると聞かせていただきました。


・「おおよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」(一念多念証文)のお言葉を通して親鸞聖人のみ教えを聞かせていただきました。阿弥陀仏が、すべての人を無碍の一道に出させたいと建てられた弥陀の方便を、釈迦は阿弥陀仏の指図どおりに自分の考えを入れずに説かれたことを教えて頂きました。


・浄土の方便の善とは、弥陀の方便の善のこと。弥陀の方便の善とは、阿弥陀仏の十九願であると聞かせて頂きました。十方衆生を相手に建てられた願は、弥陀の18願、19願、20願の三願のみである、と教えて頂きました。