親鸞会館で『歎異抄』のお言葉を学びました


 富山県射水市親鸞会館で、全国の青年層が中心となって法話が開かれました。

 演題は有名な『歎異抄』の一節。

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します」

 親鸞聖人は、どのようなことをここで教えてくださっているのか、高森顕徹先生から聞かせていただきました。

 参詣された方の声を紹介したいと思います。


・二千畳でのご法話に参詣しました。
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は…」の『歎異抄』の言葉について教えて頂きました。火宅無常の世界に生きている煩悩具足の人間だから不安が無くならないと知りました。「諸行無常」とお釈迦様が教えてくださるように、すべてのものは常が無く続かないものばかり。やがて必ず裏切るものを信じているから真の安心も満足もないということがわかりました。その中、「ただ念仏のみぞまこと」と親鸞聖人が示して下されていることを聞かせていただいて、まことのない世の中で、ただ一つのまことを求めなければならない、と知らされました。


・青年の皆さんが中心となって勤められた親鸞会館での御縁に参詣させて頂きました。
 仏法には、何時の時代になっても、何処にいっても、変わらぬ真実が説かれてあると教えて頂きました。
 仏法が如何に尊いものなのか、ただただ知らされるばかりでした。


・無常のものが常にあると思い、続かない物をいつまでも続くと思って信じている状態だから、人間は顛倒していると教えられたお釈迦様の教えが深く心に残りました。


・二千畳に参詣して「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は〜」のお言葉から、顛到の妄念の私達は必ず裏切るもの信じて、無常のものを常にあると信じていることを知りました。真理を受け入られない心。こんな信心だからこそ、苦しみ、悩みがなくならないし、不安いっぱいの火宅無常の世界となることがわかりました。


・二千畳に参詣して「煩悩具足の凡夫、家宅無常の世界は〜」について聞かせて頂きました。念仏さえ称えていれば、極楽に往生出来るように思う人があるが、それは間違いとわかりました。ただ念仏しての「ただ」は、ただじゃった、お約束間違いなかった、と知らされ、救われたうれしさから出る念仏であると、聞かせていただきました。

 

 

テレビ座談会で『なぜ生きる』を学びました


 テレビ座談会で『なぜ生きる』について学びました。
 参加者の声を紹介しましょう。

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・テレビ座談会では、「苦悩の根元」は「無明の闇」であると教える「真の知識」に会うことは難しいことを学びました。
 苦悩の根元は無明の闇と知る人も滅多になく、教える人は甚だ稀だと知りました。「雨夜の星」といわれることにうなずかずにおれません。


・『なぜ生きる』のご著書を通じて「苦悩の根元」は「無明の闇」これ一つと教える真の知識に遇えた喜びをかみしめずにいられませんでした。
 欲や、怒りや、愚痴を起こすまいと頑張ったけれど、心月を見ることは出来なかったと告白された聖人の、苦悩に満ちた比叡山での20年間を忍び、750回忌まで、阿弥陀仏の本願をお伝えしなければ申し訳がないと思いました。

 

 

京都の城陽市で正信偈を学びました。


京都府城陽市で、親鸞聖人の『正信偈』の意味を学ばせていただきました。

参加された皆さんの声を紹介します。

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・『正信偈』の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」について教えていただきました。
 親鸞聖人が阿弥陀仏の救いにあわれるまでのご苦労と救われられた言っても言っても言い尽くせない喜びの心、自己を深くみつめられる聖人について聞かせて頂きました。


・『正信偈』の最初の2行は親鸞聖人が弥陀の救いにあわれた驚き、喜びを叫ばれているお言葉と知りました。


親鸞聖人が阿弥陀仏に救われた喜びを最初の二行で書かれて、最後の二行にはすべての人に阿弥陀仏に早く救われて親鸞聖人と同じ心になってもらいたいと仰っておられると聞かせて頂きました。


・『正信偈』の冒頭の2行で親鸞聖人が、阿弥陀仏に救われた喜びがどんに素晴らしいものかを仰り、教えられたことを知りました。


・苦しみの根源は疑情であると教えて下さる善知識にお会いすることは大変難しいことを教えて頂きました。
 善知識の教えにしたがって、一座一座のご縁を大切にさせて頂きたいと思います。

 

 

4月29日の親鸞会のテレビ座談会に参詣しました

 4月29日に親鸞会館で座談会が行なわれました。
 参詣された方の声を一部ご紹介します。

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・テレビ座談会に参詣しました。自分は煩悩具足の者と知らねばならないと教えて頂きました。


・『なぜ生きる』の内容に書かれてある「暗い心」について質問がありました。その暗い心とは、後生暗い心のことで死んだらどうなるか分からないハッキリしない心をいうと教えて頂きました。


・『なぜ生きる』について聞かせて頂きました。
親鸞聖人が比叡山でご修行なされたのは、まさに「煩悩との格闘」と書かれてありましたが「煩悩との格闘」とは、私達でいえば、自分が煩悩具足の凡夫と知ること、煩悩具足の自分であると見つめていくことと知りました。
仏法は聴聞に極まりますから、真剣に聞かせていただきたいと思います。


・人間の全ての活動の前提には、『明日も生きておれる』という信心があることを聞かせて頂きました。しかし、これは必ず死ぬ私たちですから、「明日も生きておれる」というのは必ず裏切られる信心で、迷信であると知らされました。

 

 

4月29日の親鸞会のテレビ座談会に参詣しました


 4月29日に親鸞会館で座談会が行なわれました。
 参詣された方の声を一部ご紹介します。

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・テレビ座談会に参詣しました。自分は煩悩具足の者と知らねばならないと教えて頂きました。


・『なぜ生きる』の内容に書かれてある「暗い心」について質問がありました。その暗い心とは、後生暗い心のことで死んだらどうなるか分からないハッキリしない心をいうと教えて頂きました。


・『なぜ生きる』について聞かせて頂きました。
親鸞聖人が比叡山でご修行なされたのは、まさに「煩悩との格闘」と書かれてありましたが「煩悩との格闘」とは、私達でいえば、自分が煩悩具足の凡夫と知ること、煩悩具足の自分であると見つめていくことと知りました。
仏法は聴聞に極まりますから、真剣に聞かせていただきたいと思います。


・人間の全ての活動の前提には、『明日も生きておれる』という信心があることを聞かせて頂きました。しかし、これは必ず死ぬ私たちですから、「明日も生きておれる」というのは必ず裏切られる信心で、迷信であると知らされました。

 

 

城陽市でお釈迦様の説かれた因果の道理を学びました


 今回は、城陽市で「因果の道理」を学びました。
 仏教の根幹は因果の道理です。因果の道理がわからないと、仏教は一切、わかりません。

 参加された皆さんの声を聞いてみましょう。

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・「因果の道理」について聞かせて頂きました。私達の運命は仏教では「因果の道理」によって、私たちの行為が生み出したものだと教えられています。ですから自分の努力によって未来は変えることができるのです。ここが他の宗教とまったくと違うところであると教えて頂きました。


・因果の道理について聞かせていただきました。因果の道理を深信できないで他因自果と思うのは外道だと御教導いただきました。


・他人が蒔いた種が自分に現れるという他因自果というのは道理に反する外道の心であると知りました。


・因果の道理について聞かせて頂きました。自因自果を認められない私達は苦しみの深みに入っていく。
 他因自果とは道理に反する考えであり、因果の道理を信じていない考えです。仏法を信じるということは因果の道理を深信する事であると聞かせて頂きました。

 

 

伏見区で「なぜ生きる」について学びました


 京都市伏見区で、「なぜ生きる」について親鸞聖人の教えを学びました。
 参加された皆さんの声を紹介します。

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親鸞聖人が「なぜ生きる」について明らかにされたことを聞かせて頂きました。人生の目的は無明の闇を無くすることとハッキリ致しました。


・どう生きるかばかりを考えていますが、そうやって生きるのは何のためかを考えない矛盾に、深く考えさせられました。


・仏教で教えられる「無明の闇」は真っ暗な所に向かっている私たちの心とお聞きしました。


・「なぜ生きる」について聞かせて頂きました。本当の生きる意味を知らずに、ただ生きる事に精一杯です。親鸞聖人によって初めて「生きる意味」を知らされました。ご縁のある方に伝えたいと思いました。


・信じていても、やがて必ず裏切るものばかり人は求めて生きているのだと知らされました。絶対に裏切られることのないものとは何か、親鸞聖人の教えに学びたいと思いました。