浄土の方便の善について親鸞会の二千畳座談会で聞かせていただきました


 親鸞聖人の一念多念証文のお言葉に、次のようなものがあります。

「凡そ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門という、これを仮門と名けたり」
(一念多念証文)

釤釈迦の八万四千の法門は、すべて浄土方便の善である。これを要門とも仮門ともいわれる釤

 このお言葉について真意を、高森顕徹先生から聞かせて頂きました。

 参加された皆さんの声を聞いてみましょう。

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・2000畳座談会に参詣しました。「願海に就きて真有り仮有り」(教行信証真仏土巻)と、阿弥陀仏の本願に真仮があることをを親鸞聖人は教えられました。これは、親鸞聖人の教えの特徴の中の特徴と聞かせていただきました。
 阿弥陀仏の19願は聖道門の人のために建てられた願である、とか、自分はもう19願、20願は通ったので、あとは18願だけ聞けばよい、という誤った考えがあることを知りました。
 弥陀の18願、19願、20願は、孤立したものと考え、三願転入も親鸞聖人だけのことだ、という真宗学者までいるそうですが、正しい親鸞聖人の教えを伝えていかねばならない、と思いました。


・2000畳座談会に参詣させて頂きました。浄土の方便とはどういうものか、についてお聞きしました。方便は要らないと言う人がいるが、方便なくして真実に入ることは絶対ない、と教えて頂きました。世間では、方便というと、「ウソも方便」といわれて、ウソのようなものが方便と思ったり、あってもなくてもいいものぐらいに考えている人が多いですが、仏教で方便と言ったら、真実に対する言葉で、方便なくしては絶対に真実に入れないものだとわかりました。
 方便なんかいらない、という人は、真実も方便も、どちらもわかっていない人だから、まだ始まっていない人なのだと思いました。
 また、その方便の願を建てられたのは阿弥陀仏なのですから、その方便を「いらない」というのは、阿弥陀仏の上に立っているおそろしい心から出る言葉だと思いました。


・二千畳座談会に参詣させて頂きました。
 阿弥陀仏は五劫の思惟をなされ、私達を18願の世界に出させるために、最も近道である、19願、20願を建立して下さいました。
 にもかかわらず、『19願が聖道門の山で修行している者のために建てられたもので、私達には不要』と言う真宗の学者がいると知り、浄土真宗凋落の原因の一端を見る思いでした。
 そのような中で、真実を教えて頂ける身の幸を喜ばずにおれませんでした。正しい親鸞聖人の教えをよく理解して、また伝えていきたいと思います。


・二千畳座談会に参詣しました。真実と方便の関係を「従仮入真」のお言葉で、仮よりしか真実に入れない、と聞かせて頂きました。「従真垂化」真実から出たものが方便である、ということも教えて頂きました。真実と方便は切り離して考えることは出来ない、真・仮は孤立したものではないことを聞かせて頂きました。