私のことを言われているのですね

今日は、お釈迦さまが古今東西変わらない人間の姿をたとえ話で教えられた「人間の実相」のお話を聞かせて頂きました。

話の概要を紹介しましょう。

 それは今から幾億年という昔のことである。ぼうぼうと草の生い茂った果てしない広野を、独りトボトボと歩いていく旅人があった。季節は、木枯らしの吹く寂しい秋の夕暮れである。

 ふと旅人は、急ぐ薄暗い野道に、点々と散らばる白い物を発見して立ち止まった。一体何だろうと、拾い上げて驚いた。
 何とそれは、人間の白骨ではないか。どうしてこんな所に、しかも多くの白骨があるのか。不気味な不審を抱いて考え込んだ。間もなく前方の闇から、異様なうなり声と足音が聞こえてきた。闇を透かして見ると、かなたから、飢えに狂った獰猛な虎が、こちら目掛けてまっしぐらに突進してくるではないか。

 旅人は、瞬時に白骨の意味を知った。自分と同じく、ここを通った旅人たちが、あの虎に食われたに違いない。同時に自分もまた、同じ立場にいると直感した。驚き恐れ、無我夢中で、今来た道を全速力で虎から逃げた。
 しかし、所詮は虎に人間はかなわない。やがて猛虎の吐く、恐ろしい鼻息を身近に感じ、もうだめだと思った時である。どう道を迷ったのか、断崖絶壁で行き詰まった。

 絶望に暮れた彼は、幸いにも断崖に生えていた木の元から一本の藤蔓が垂れ下がっているのを発見。その蔓を伝ってズルズルーと下りたことはいうまでもない。
 せっかくの獲物を逃した猛虎は断崖に立ち、無念そうに、ほえ続けている。
 旅人は九死に一生を得た。「やれやれ、この藤蔓のおかげで助かった。まずは一安心」と足下を見た時、思わず口の中で「あっ」と叫んだ。

 底の知れない深海の怒涛が絶えず絶壁を洗っているではないか。それだけではない。波間から三匹の竜が、真っ赤な口を開け、自分の落ちるのを待ち受けているのを見たからである。あまりの恐ろしさに、再び藤蔓を握り締め身震いした。

 しかし旅人は、しばらくすると空腹を感じ、周囲に食を探して眺め回した。
 その時である。
 旅人は、今までのどんな時よりも、最も恐ろしい光景を見たのだ。
 藤蔓の元に、白と黒のネズミが現れ、藤蔓を交互にかじりながら回っているではないか。やがて確実に白か黒のネズミに、かみ切られることは必至である。絶体絶命の旅人の顔は青ざめ、歯はガタガタと震えて止まらない。

 だが、それも長くは続かなかった。この藤蔓の元に巣を作っていたミツバチが、甘い蜜の滴りを彼の口に落としたからである。旅人は、たちまち現実の恐怖を忘れて、陶然と蜂蜜に心を奪われてしまったのである。


「欲のため、怒りのため、愚痴のため、自ら造り続けた罪悪で苦しみの世界に入っていく。
 五欲に酔いしれ、大事な生きる目的を知らず、死を待つだけの一生では悲劇と思いました。
 高森顕徹先生から親鸞聖人の教えを聞かせていただいて、このことが初めてわかりました」

「この例えは、私のことを言われているのですね。
 何をしても満足感が得られず底知れぬ淋しさを感じる時があります。
 “魂は独りぼっち淋しさに震えています”と言われたお言葉が心に響きました」

参加者の皆さんの声です。

感じられたことを、講演会の後も、親しく語り合っています。