明日ありと思う心の仇桜

“明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは”

4歳でお父さまを、8歳でお母さまを亡くされた親鸞聖人は、9歳で仏門に入られました。
その時に詠まれたのが、冒頭の歌です。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

今日とも明日とも知れないのが私たちの命。

そんな儚い命と知ったとき、

「やがて必ず死んでいくのに、なぜ生きるのか」

と問わずにおれなくなります。


今日は、歎異抄第2章を通じて皆さんと仏教の教えを学びました。

歎異抄は、仏教書の中でも一番多くの人に読まれています。

今回は、その歎異抄の第2章の内容を通じて、「後生の一大事」について学びました。

仏教は、後生の一大事を知るところに始まり、その解決で終わる教えと言われます。

後生の一大事がわからなければ、仏教は絶対にわかりませんから、大変、大切なことを、今日は皆さんと学びました。

重ねて重ねて、教えについて共に学んでゆきたいと思います。